先生をエンパワメントするって、どういうことだろう。

福祉における生活者のエンパワメントは、生活者の中に答えがあるが、教育の場合、先生の中に答えがあるとも言いにくい。どちらかと言えば子どもたちのなかである、ということはできるだろうが、最終的にはそれらを十分踏まえた上で、学校として総合的な判断をくださなければならない。

といいつつ、学校はカリキュラムを「用意」している。

いうなれば、「エンパワメント」という観点を持ちにくい構造に追いやられている。

20023

自信をもっていえば、先生のエンパワメントが、必ずしも教育の、もっといえば広義の社会政策としての学校をエンパワメントすることになるわけではないのである。
先生のやってることが理にかなわない場合は、それを諫言する必要がある。さらにいうならば、これまでの「教育」の歴史を背負ってきた学校にとって、誰も味方はいなくなってしまうかもしれない。

「既存の文脈」を推し量ることはそのくらい難しい。理想論では片付けられない、「現実可能性・妥当性」と向き合っていかないと、変えられない。

また、「総合的な目」を持つことはそのくらい難しい。多くの人が味方であり、言うなれば敵にもなる。