辻先生も青木さんもおっしゃっていたように、博士論文を仕上げる過程って、

多くの学徒はどうしても意図的に「視野狭窄」になる。というより、する。

 

研究の積み上げはやはり偉大で。

「一転突破」じゃないと、研究のフロントラインを意味をもって引き上げることはできないから、かなぁ。

 

とはいえ、僕はけっこう興味関心がよく言えば広く、悪く言えば拡散するほうなので、

そういう「一転突破」はけっこう勇気がいる。

 

カンタンに言えば、「選んだ『一点』は、果たして正しかったのか?」という問い、

あるいは「捨てた『他の点』は、果たして不要なものだったのか?」という問いに、

自信をなくしてしまうから。

 

たしかに、一転突破には上記のような価値があるかもしれないけど、それと同時に、

研究者としてのアイデンティティを形成する若年草創期に視野狭窄を経験させ、

後年の総合的研究への関心につながりにくいのでは?という懸念。

博士号は、ある意味で研究者としての「お墨付き」。そこをスタートとしたとしても、

そこを相対化して距離をとっていくことが人によっては難しいのでは。

 

個人的には、「総論」はベテラン、「各論」は若者っていう研究界における構造にまだなじめてなくて、

むしろ若いときこそ「総論」、ベテランになるにつれ「各論」という道筋もあってよいのではないか?

とも思ってしまう。

 

まぁ、博士号が一種の「学術会入学の合格証明書」だとすれば。

博士号に向けての一連のプロセスを、もっと肯定的に捉えていこう。

 

・・・学部3年生のつぶやき。きっと、数年後には恥ずかしく見返すんだろうなぁ。

がんばろう。毎日応援してくれている人たちの、希望の光を照らし帰すために。

そして、まだ見ぬ将来の子どもたちの目の前に広がる暗雲の中に、光芒を貫くために。

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