気づき。

 

学校をこうしたい、っていう思いを、僕の中にもつことには、どんな意味があるんだろう。

たとえば、今自分の中で一番ピンときているのが、「社会政策としての学校福祉運営論」。

・・・ただ、(もちろん、まだ現職の先生方とこれについて話したわけじゃないからなんともいえないけど)

果たしてこの一種の「理想像」は正しいのか? あるいは、「先生方が望むものなのか?」と、疑問が浮かぶ。

 

もちろん、正解を客観的・普遍的に規定することはできないけど、それでも、

学校に臨床する経験を潜り抜けた先に、自分のこの「理想像」があり続けるかを確認するまでは、

これをどどん、と打ち出すことはなんというか、言葉通りの「世間知らず」、相手のことを考えない「押し付け」となってしまうような気がする。

 

もちろん、自分の中で考えをめぐらし、詰め、よりよいあり方を探していくのは重要だけど。

このままでは、これまでの教育経営における議論をなぞるだけになってしまう。

 

教育研究における理想と現実へのアプローチ分布

教育研究、とりわけ教育「経営」研究は、学校をどうしていけばよいのか、その理想を構想し、

現実にそれをあてはめようとする研究は多くあるが、

それをどのように実現していけばよいのかを実証的に記述した研究が少ない。

 

学校が変わっていった様子をエスノしたもの、学校改革物語を回顧的に記述したものはあるものの、

ではそれがなぜ、どのように起こったか、あるいは、他の場面においてそれを起こすにはどうすればいいかを

明示できている研究論文は少ない。

・・・だから、やりたい。

 

多くの研究者が実践に関わる理由を「ご縁」としている。

ご縁を築くのも実力のうちかもしれないが、明確な方法論として、研究側の学校への関わり、

組織心理学者・シャインの言葉を借りれば「Process Facilitator(プロセスの促進者)」としての研究者像を、

明確に描けるような研究をしていきたい。

 

ということで、まずは、勉強しよう。現場に臨もう。ともに迷い、考えながら、それを研究の文脈でつむいでいこう。