社会運動家ともいえる湯浅誠さんと、北海道大学の松本伊智朗先生の対談がとても興味深い。

「教育の運動論」について、佐藤学先生がたしか教育学年報?で書いていた。いつも読み返そう、読み返そうと思いながらもごてごてになってしまっている。そんななか、「運動」と「研究」の関係性を考えながら、ひさしぶりに「残る」対談を読むことが出来たように思う。

 

湯浅 誠 , 松本 伊智朗「この人に聞く(第1回)湯浅誠–反貧困運動の組織化と研究への期待」

(『貧困研究』 1, pp.76-88, 2008-10)

 

湯浅さんは「反貧困ネットワーク」という広範な運動の芽吹きについて、とてもリアルな声を寄せていらっしゃる。

 

湯浅「いろんな問題が貧困の問題を抱えてるってことでもあるから、貧困の問題を軸にしてそれぞれのつながりを作れるだろうということになるわけですね。」

 

これはきっと、教育福祉の問題全体にも当てはまるはず。大阪府立大の吉田敦彦先生が、教育福祉には特定の領域はなく、福祉と教育が双方向的にクロスオーバーしていく、協働を促進するコンセプトであると書かれていたあたりと随分と重なるように思う。

 

ほかにも、この分野では「理念」と「生身の感覚」でたびたびぶつかりあう2要素が述べられてる。対談は「居場所の『まったり性』と異議申し立ては両立できるか」という小題のもとで。

 

松本「『救済に値する貧民』と『値しない貧民』に分けて考えるというのは、救貧法以来、貧困の議論には常につきまとう問題ですね。」

 

というお題のなかで、湯浅さんはまずは「人間関係を作り直すこと」が第一歩であると確認されたうえで、貧困の領域ではその人間関係を外部ではなく「もう一個自分の活動のなかに抱え込む」と。「居場所――闘わなくてもいい場所――が活動の中にあるくらい、活動が『溜め』を持たないといけないんだ」と言う風に述べています。その居場所は、

 

湯浅「『こういう目にあったんだから、怒んなきゃいけない』というのは、『あんた、もう働けるはずだから働きなさい』と同じで、怒りの強要は仕事の強要と変わらない。もともとそのためには膨大なエネルギーがいるわけです。その『溜め』を、回復して大きくするぐらいの場所を活動のなかに抱え持っていないと、『生活保護を取った』だの、『労働争議を解決した』といってもその先がなかなか開いていけない。そういう意味での居場所づくりを活動の一環にビルトインする、それが貧困問題に携わる活動の特徴だと思っています。」

 

湯浅「社会運動とかロビイングとか、そういう政治的・社会的な動きと、居場所の持ってる『まったり性』みたいなのを、どう活動の中で両立させるのか、というのはけっこう難しい課題ですね。『もやい』はとりあえず役割分担を棲み分けてやってます。一人の人が両面の顔をしようと思っても、それは無理だから。二つの中心があるような、楕円の活動をするというか。そういう活動の仕方で、人がどっちにでも往復できる。まったりしたければそっちに行けるし、何かやりたければこっちにも来れるというような、そういうスタイルを作っていくことが大事かな、と思っています。」

 

「溜め」という概念は、菊地先生のいうような「余白」に近いような気がします。なんというか、学校の「隠されていない(こういう言い方あるのかな?)カリキュラム」にはないようなもの。人間ってそう簡単に変われるようなものではなくて。緩衝材といったら「溜め」「余白」が本位なものではなくなってしまうのだけど、「うーん」や「むぅ」が許される時間、空間。

 

 

湯浅「運動は、非常に個性の強い人たちがやっている中で、かつその共存を目指さないといけないので。差異を際立たせるようなことよりも、共通点を拾い出すことのほうが大変だし重要だからですね。」

 

このあとに続けて、昔は研究者の卵だった湯浅さんも述べているように、研究は「違い」が価値となるもの。でも、運動論ってまったくの逆で、共通性によって連なっていくもの。教育福祉も、領域の違いに固執していたらいつまでも進まなくて、苫野先生の構造構成主義研究会のような、「共通点」を教育福祉のもとに耕していく必要があるのではないかと実感。

 

まだまだ続く。

 

湯浅「研究というのは5年、10年見てやるものだから。例えば半年後に生活保護法改正の動きが出て、それに対してどうするか、といった問題について、ぱっと動ける研究者はあまり多くない。活動の日々の課題自体は、『舛添要一がこういうこと言い出しちゃったから始まった』という感じで、数ヶ月のスパンで動いてますからね。数ヶ月単位でめまぐるしく動いていく活動から生まれてくる、こういう資料が欲しいとか、こういうデータ、こういう研究が欲しいが欲しいというニーズと、5年、10年の長い研究スパンとがどうかみ合っていけるのか、ということは、追求すべきと思っています。『社会的な活動をする学者の役割』ですね。それは研究で返すんだ、というのとはちょっと違ったレベルになるんですよ、どうしても。」

 

うーーーーん、深い。自分も、研究がしたいわけじゃなくて、あくまでも方法としての研究畑へのダイビング。「研究で返す」ことに甘えてはいけん。

 

それに加えて、さっき「運動」と「居場所」のジレンマが出たけど、研究者にとってはそれに第三項「研究」が登場することに。両立は難しいのだろうけど、避けては通れない課題なんだろうな。

 

ほかにも書きたいことがいくらでもあるけれど、卒論を進めなければならないので!、ここらへんで。「溜め」を回復していける空間作り。当事者といっしょにやっている湯浅さんに脱帽。対談を効果的に引き出してくれた、松本先生に感謝。