2018/6/30 誰の何を、どのように背負うか
旧知の友人らと会う。artificialな機会であるというのに、その後まで付き合ってくれることに本当に感謝する。 「場づくり」が得意なほうではない。内容ではなく、接し方や調子の面で、構成員の中庸にヒットさせ […]

2018/06/26 エゴイズムと向き合う 自らの甘さ
研究会で、友人に厳しい一言をかけてしまったのをつくづく後悔している。 他者に向ける言葉は、得てして、自らへの刃にもなる。 果たして僕は、いま取り組んでいる研究を仕事として。つまり、社会との契約の元、なんらか […]

2018/06/05 世に言う”自立”をめぐって
もやもや。 「早稲田まで行ったんだから」という発言に、様々なことを感じる。必ずしも僕のことだけではなく。 人は、「もったいない」という。せっかく早稲田まで行ったんだから、もっといい仕事があるじゃない、何もそ […]

2018/03/10 「好き」って。
普段と違うコミュニティに属し、普段と違う環境に身を置くことは、普段自分が何一つ気にせず新退化している“何か”を自覚させてくれる。ここで言語化して整理しておきたい。どれもきっと浅い考察に止まるが、この瞬間に言葉にしておくこ […]

2018/02/27 闘いの意味
久しぶりの更新になってしまった。この経緯についてもあとでまとめたい。 団体行動への参加 ある勉強会のフィールドワークで、団体行動に参加した。 団体行動とは、僕らが学校で、「労働三権」として習ったやつだ。憲法 […]

2017/05/16 研究者はなにをみているんだろう。
博士論文を書ききるということは、その道の専門家になるということで、 まだ明らかにされていない知を、一歩前に進めたことを認めてもらうことでもある。 と同時に、研究者としての太鼓判を押され、研究の職を得ていく道が開かれる。 […]

2017/05/10 足りないことが多すぎる。
吉田先生は、教育社会学の理論を”ゲームの裏技”だと形容された。 知らなければいけないかというとそうでもないが、知っていれば、様々な事象をすっきりと説明することができる、と。 加えて竹内洋先生が、理論を当てはめて実証するの […]

2017/05/05 What`s make it “right”?
つかの間のGW前半は、長野へ。 毎年GWに行っているのは新潟ですが、今年はまったく違う用で長野・八ヶ岳へ。 翻訳合宿に混ぜていただきました。 英語と日本語では言葉の区切り・概念の範囲・述べ方が […]

2017/04/06 院生生活を始めて
大学院生になってはや6日。感じることを書き留めておきたいと思う。 ①自分で使える時間が増えた分、自分の使い方次第で時間を生かすも殺すもできる。 大学が週2になる。学部のとき、ずっと週6で大学の授業を受けに行 […]

2017/03/16 学校支援に携わるなかで
教育支援コーディネーターフォーラムでお会いしたNさんにご用命いただき、ここ1ヶ月弱、都内のある中学校に出入りしていました。 学校の教育活動の枠内なので詳細は載せませんが、総合的学習の時間のなかで、教育支援コーディネーター […]

2017/02/19 関西ROJE勉強会「教育の目的とは? ~答えのない問いに立ち向かうために~」
先日、関西ROJE向けに勉強会を行いました。 背景には、一メンバーから上がっった「教育の目的を考えたい」という意見があります。 正直、私には扱いきれない大きなテーマですが、本勉強会としては ・自分が議論の前 […]

2016/12/10 無知か、無力か。
無知か、無力か。 Inconvinient Dicipline Pierre Bourdieu 不都合な真実を目の前に、私たちは無力であることを感じずにはいられない。 「満足した豚よりも不満足 […]